独立・開業を説くなら、自分のを晒さなければと思い、恥ずかしながら書きます。
みなさんご存知の孫正義社長と一度だけお会いしたことがあります。
と申しましても、ご飯をご一緒したとかでは全然無く、納品のご挨拶に参上した下請けのその他大勢の一人としてです。当時のソフトバンク社は、水天宮のビルに入居していて、雑誌の出版事業とソフトウエアの卸売りが主な事業の柱だったとおもいます。お手伝いしたのは、「オンハンド」という画期的なサービスのパッケージ化でした。私は購入者が見る画面遷移のデザインをさせていただきました。何が画期的だったかというと2018年には常識のアプリの購入方法とほぼ同じ思想で20年前にソフトウエアの購入方法が作られていたことです。今のように日常的にネットワークある時代ではなく、常時接続ではなくて、モデムという接続機器をその都度立ち上げて、ネットワークに入るという時代でした。ソフトバンク社が発行する雑誌の付録であるCD-ROMにソフトウエアの全てが入っていて、お試し期間中には自由に使えて、気に入ればお試し期間後に代金を決済し、ネットワークを介して提供される「鍵」を使ってユーザが自分のものにするというものでした。その納品の嬉しいはずの儀式に孫社長はなんだか浮かない顔だったのを今でも覚えています。どうやらソフトウエア業界からの反発もあったようだと後から知りました。
当時私は、ネットベンチャーに請われて、経営企画室長の肩書で、自分の担当する新規事業の立ち上げと株式公開に向けての社内整備が主な仕事でした。創業してからの既存事業の踊り場に差し掛かっていたベンチャーですから、株式公開を実現する新規事業の室長という重圧と社内に染みついた下請け根性に押しつぶされそうでした。投資家からの熱い期待と社内の温度差とのギャップが大きすぎて、毎晩のように酒の席で社長に意見し、別の日は社員のモチベーションアップのために乾杯するという日々。必ず二軒目に行き、新規事業での採用をお手伝いしてくれたリクルート社の営業課長を呼び出して愚痴る日々が続きました。私は社会人駆け出しの頃にリクルート社のフロムエーで営業経験があったので、先輩だと思い、嫌々ながらも付き合ってくれていたのだと思います。
そんな時新聞に、米国で株式公開したソフトバンク社が米国のジフデービス社を買収した記事が出ました。この瞬間です、頭のてっぺんから稲妻が身体を貫いたのは。「俺にも出来る。挑戦しなければもったいない!」「いつかは社長のいつかは今しかない!」。今、孫社長にお会いしたら(お会いできないでしょうが…)、生意気だと言われておしまいでしょうね。私を最も成長させた冒険はこの瞬間から始まりました。私の創業、資金調達、株式公開への冒険が始まりました。
しかし日常は酒の力を借りて、愚痴る日々の繰り返し。
「バシっ」という大音響がウトウトしていた私を襲いました。愚痴の相手をしていたリクルート社の営業課長がデーモン小暮閣下のような人相で「そこまで言うなら自分でやったらどうなんですか」とテーブルを叩いたのでした。
翌朝、ベンチャーの社長に辞表を出しました。
それから本当の冒険が始まりました。孫社長に出会わなければ、リクルート社の営業課長に出会わなければ、私の人生は、器用で使い勝手の良いナンバーツーで終わっていたと思います。
孫社長はみなさんご存知の通り。もうお会い出来ないでしょうね。
リクルート社のデーモン小暮氏は、会社を大きくして幹部をやっておられます。今でも年に四回お酒をご一緒しています。
孫社長は、学生時代の渡米前に日本マクドナルドを創設した藤田田商会の藤田会長に強引に面談し、「自分であればコンピューター分野を事業にする」というアドバイスを受けたと最近読んだ橘玲さんの「80’s」で知りました。大変な良著です。
この本の素晴らしさのレビューは別に書きたいと思います。著者がアルバイトをしていたマクドナルド環八五日市店のすぐ近くで生まれ、結婚して独立するまで育ちました。サラリーマン時代も同じ業界のUPUという会社にいたのでお会いしていたかもしれません。そんなこともあり、全く初めての素晴らしい読書体験をしたものですから。