私が「薬」と決別した理由
2012年9月25日脳血管内動脈瘤破裂によるくも膜下出血患部
私が「薬」と決別した理由〜私が体験した薬害について〜
私は、普段の不摂生が原因か、その数日間の寝不足が原因か、それとも全く与り知らない理由なのかはさて置き、2012年9月25日渋谷の居酒屋で脳内血管動脈瘤破裂によるくも膜下出血により倒れ、救急搬送されました。
いくつかの奇跡が重なり、今も元気で生きています。
この出来事で、私の人生は、大きく変わりました。
(とても良い方向に)
いくつかの奇跡の大きな一つに、脳内血管内科におけるカテーテル手術の名医との出会いがあります。
私の患部は、左眼眼窩のすぐ奥(つまりは最深部)で、外科的な手術では、術野を確保するのが困難で匙を一度投げられたそうです。
そこに登場したのが、我が命の恩人の名医です。
まず確実に患部を止血することが最命題です。
名医は私の鼠蹊部から一直線に左眼眼窩奥の患部にカテーテルを挿入し、プラチナコイルを破裂した動脈瘤の内側にきっちり巻き上げて完璧に止血しました。
5時間の大手術。
私の症状は、搬入先の病院に駆けつけた嫁さんに、担当の女医さんは「まず覚悟をお願いします。3割の方はこのまま意識が戻らずに亡くなります。処置が成功しても3割の方が意識が戻らずに、寝たきりになります。意識が戻ったとしても3割の方は重い後遺症に苦しまれます。」と意識の無い私に会う前に言った程のものでした。
後から知りましたが、脳内での疾患は、症状の重篤度を5段階に分類されていて、私は意識の無いレベル3、それより重篤のレベル4、5は医療過誤のリスクから処置をしない病院もあるそうです。
術後の経過は順調で、苦しいけれど頭脳活動と肉体のリハビリで、確実に良くなりつつあります。
(とても良い方向に)人生が好転していったのは、入院中に自分のことを考える時間がたっぷりあったということです。
三大命題は、「なんでこのような大病をしたのだろう」「なんで生まれてきたのだろう」「なんのために生まれてきたのだろう」で何度も何度も考えました。
(とても良い方向に)好転した人生は、別項に譲り、ここでは薬害。
退院後は、3ヶ月に一度のMRIでの患部のチェックと術後一年の、MRIでは隠しきれない細部まで確認する血管造影法によるカテーテルでのレントゲン撮影。
これがキツかった。
患部近くに鋭敏な神経はないはずなのに、熱さと圧迫感が酷く、吐いてしまう患者さんもいるとのこと。
この血管造影法による二泊三日の検査入院にベッドで考えたことは、術後一年経っても頭脳活動のパフォーマンスが戻らないことのなんとも言えない不安と、今後の活動への逡巡でした。
フリーランス(大病で仕事を全てキャンセルし、経営権も仲間に譲ってしまったので当たり前だ)のプランナーとして仕事ができるだろうか、お得意さんや仲間に迷惑をかけないで済むだろうかという漠とした不安が逡巡の理由でした。
退院後に、定点観測として訪れる紀伊国屋書店本店を背表紙ハンティングしていたその時です、その本が私を呼んだのは…。
私は、「本」で救われたことが多い人生なので、(私と読書)読み始めたところ、「なるほどそうだね」という内容でしたが、読み進めることに。
すると、なんの文脈もなく「スタチンという薬は米国では投薬が禁止されている」との文章が目に入る。理由は、血流改善の効果はあるものの、シナプスの活動を制限してしまうとの内容でした。(良い本でしたが、当該箇所はあまりにガツンときて、文字通り殴られたかと思い後ろを振り返るほどでしたので以降の章は読んだ記憶がありません)
待てよおいっ!
脂質異常症薬スタチン、製品名クレストールって、毎回名医が処方してくれる薬ではないですか。
頭脳活動の要のシナプスが動かなければ、プランナーとしての生命線である、「ヒラメキ」と「まとめる力」が発揮できるわけもありません。
患部の血流を良くする目的の投薬が、頭の活動を良くする障害になり、不安の原因となっていたとは…
直ぐにゴミ箱に捨てました。
服薬をやめて3ヶ月後くらいからは、思考全般が目に見えて良くなり始めました。
それ以来、医薬も大衆薬も一切飲んでいません。
が、極めて健康です。
これがキッカケで「医療の闇」「製薬会社、医師、薬剤師と調剤薬局の鉄の三角形」に気がつきました。
私の命の恩人の名医は、もちろん悪気はなく、製薬会社から血流改善のスタンダードなお薬と言われて、処方していたわけです。
間違いなく名医ですし、人格的にも素晴らしく、良かれと思いながら処方している。
だからこそ始末に悪い構造になっています。
これについては、別にまとめます。
最後に、皆さんもお薬をやめる勇気を持ちましょう。
時間はかかりますが、ほとんどのことは食事と生活習慣で好転します。